プリティー研究所

プリティーリズムの考察など

キンプリ KING OF PRISM Shiny Seven Stars 第2話の感想と批判 レインボーライブから改善された点と改善されなかった点

応援上映という形式でヒットしたKING OF PRISM、通称キンプリの続編であり、テレビアニメとして開始したKING OF PRISM Shiny Seven Starsの感想を書こうと思う。

第2話まで見た印象としては、メインとなるキャラクターが何人もいて、恐らく1話ごとにスポットが当たるキャラクターが変わり、冒頭でスポットが当たるキャラクターのプリズムショーの試合の直前から始まり、その試合に臨むまでの過程を追った後に、また冒頭のシーンに戻ってきてプリズムショーを開始するという構成になっているのだと思われる。

エンディングは感動した。エンディング曲のイントロが本編の途中から流れ出して、そのままシームレスにクレジットに突入するという演出なので、余韻に浸りながらエンディングまでしっかり楽しめる。しかもエンディング曲はその話数でスポットが当たったキャラクターがTRFの曲をカバーして歌っている。これがキャラクター全員にそれぞれあるのかと思うと贅沢な作品である。

さて、本編の内容としては、第2話でスポットが当たるキャラクターは太刀花ユキノジョウ。ユキノジョウは300年の伝統がある国立屋の太刀花家の歌舞伎役者でありながら、プリズムスターでもある。歌舞伎役者として看板を背負うプレッシャーと、プリズムショーとの板挟みから、歌舞伎の練習に身が入らない。父親からプリズムショーを反対され、前作ではプリズムキングカップの出場を辞退し、今回の大会への出場も父親から反対されるが、歌舞伎からもプリズムショーからも逃げていたユキノジョウは、自分の宿命から目を背けるのをやめて、プリズムショーに臨むという話である。

よかった点としては、ユキノジョウは伝統ある血脈のプレッシャーによる悩みを抱えているのだが、周囲に八つ当たりすることもなく、親のせいだ、大人のせいだと不幸アピールして批判を免れようとする姑息な作劇でもなかったので、嫌味がなくキャラクターに好感を持てた。不幸ではなく本人の未熟さとして描かれ、周囲が同情して許容するのではなく、自分の弱さと向き合うところがよかった。この点において、今のところはレインボーライブからの改善が見られる。

悪かった点としては、ユキノジョウが「宿命から逃げない」と決意するきっかけがない。なぜ逃げないと決意するに至ったのかという理由が抜けている。仲間に自分の過去のことを話しただけでなぜか決意に至っている。「逃げないから逃げない」というようなトートロジーしかないのだ。坪田文の脚本はこのようなトートロジーが度々ある。他者や環境から新しい情報を得ることによって心情に変化があるのではなく、自分の中にある情報によって決意に至っているので自己完結的なのだ。ここはレインボーライブからまったく改善されなかった点である。

そもそも、歌舞伎から逃げたのはプレッシャーが理由だとしても、プリズムショーから逃げた理由がない。ユキノジョウがプリズムキングカップの出場権をシンに譲ったのは、前作の話というか尺というか制作の都合でしかないと思うのだが、そこに「シンがプリズムのきらめきを思い出させてくれた」以上のドラマを組み込もうとして失敗している。「なぜ未練なく譲ったのか」という問いに対して、「逃げたから」という理由になっているのだが、「ではなぜプリズムショーから逃げたのか」という問いに対しては「逃げたから逃げた」というトートロジーしか理由を作れていない。ここがあやふやだから「なぜ逃げるのをやめたのか」という部分もあやふやなのだ。

「プリズムスターのユキノジョウ」が、最後のプリズムショーくらいでしか描かれていないところにも問題がある。歌舞伎役者であることでプリズムショーを反対され、プリズムショーを反対されたことで歌舞伎にも身が入らないという相互への悪影響しか描かれていない。氷室聖のプリズムショーに惹かれてプリズムショーを始めたらしいという情報くらいしかないため、歌舞伎役者とプリズムスターの両立に悩んでいるとしたら、何のためにプリズムスターを続けるのかという理由が弱い。ここもレインボーライブから改善されなかった点である。

歌舞伎役者とプリズムスターを両方やっていることの意味が、歌舞伎を取り入れたプリズムショーによって示され、そのユキノジョウのプリズムショーを見て、今まで反対していた父親が「プリズムショーの方が稽古をつけるより身になる」と認めているのだが(そもそも歌舞伎を取り入れた「いいプリズムショー」を見せることが、プリズムショーの影響によって「いい歌舞伎」になることにはならないと思うのだが)、父親ではなくユキノジョウ自身が、歌舞伎とプリズムショーを両方やっていたことによって相互にいい影響があったことを知るというエピソードが必要だった。歌舞伎をやっていたことによってプリズムスターの仲間の力になれたとか、プリズムショーをやっていたことによって歌舞伎のプレッシャーが和らいだといったエピソードがあれば、血の宿命に立ち向かう決意ができた理由にもなったし、プリズムショーを続ける理由にもなった。

物語の途中まではユキノジョウ自身の心の流れを追っていたのが、「なぜ逃げないと決意したのか」という部分からついていけなくなり、歌舞伎を取り入れたプリズムショーを見ることで「歌舞伎役者とプリズムスターを両方やることに意味はあった」とは知れるのだが、それは父親の視点に近く、いつの間にかユキノジョウではなく、父親の心の流れを追わされている。父親が「弱さが強さになるということを見つけた」と言っていたが、それをユキノジョウ自身が見つけたというシーンがない。

せっかくプリズムショーに臨むまでの過程を追っている構成なのに、ユキノジョウ自身が最後のプリズムショーに至るまでに、なぜ逃げないという決意をできたのか、逃げないことに価値があることをユキノジョウ自身が知るような過程が抜け落ちている。それこそファンと出会って応援されていることを知って、その応援を無駄にするわけにはいかないと思って、逃げないことを決意するでもよかった。応援上映でヒットした作品にもかかわらず、レインボーライブと変わらず他者からの期待を抑圧だとか貶める方向性なのだろうか。

今後に期待と不安はあるが、第3話以降も見ていこうと思う。