プリティー研究所

プリティーリズムの考察など

キンプリ KING OF PRISM Shiny Seven Stars 第9話の感想と批判

キンプリSSS第9話の感想を書く。

本編の内容としては、第9話でスポットが当たるのは大和アレクサンダー。アレクは前作のプリズムキングカップにおけるカヅキのプリズムショーを思い出しながら筋トレに励んでいた。アレクの家はスナックであり、母親は元プロレスラーだったこと、アレクは幼少の頃は喘息持ちだったこと、幼少の頃にカツアゲされそうなところをストリート系のカリスマと言われていた黒川冷に助けられたことで、黒川冷に憧れてプリズムショーを見始めたこと、黒川冷がプリズムキングカップに出場しなかったことで、自分がストリート系のカリスマになることを決意したことが明かされる。そしてPRISM1のアレクのプリズムショーが始まり、また会場を破壊すると思ったタイガが乱入するも、破壊はせずにバトルをエンターテイメントに変えてしまうプリズムショーを見せる。

良かった点は、アレクの前作での会場の破壊行為に対して、「不幸な事情があったから仕方なかった」といった言い訳じみた不幸設定が付け加えられることがなかったことである。本人の責任で行うからこそキャラクターの魅力になる。会場を破壊するような型破りさもアレクの魅力なのである。ただ、前作の印象では、もっと現在のプリズムショー界や評価基準に不満を持っているために破壊行為に及んだと思っていたのだが、今回明かされたアレクの背景では、前作ではなぜあそこまで殺気立っていたのか不思議ではある。

黒川冷がプリズムキングカップに出場しなかったことで、出場していれば黒川冷がキングになっていたはずなのに、黒川冷不在でキングを決めたことから、プリズムキングカップに価値はないことを知らしめるために破壊行為に及んだとも考えられるが、黒川冷が何らかの圧力で出場できなかったわけではなく、氷室聖がいないからという理由で自分から出場しなかっただけなので、お門違いになってしまう。だが、下手に不幸設定を付け加えて正当化するよりも、そういう未熟さとして描かれた方がキャラクターは魅力的になる。

前作までのアレクはカヅキの物語における乗り越えるべき壁だったのだが、そこが不満でもあった。レインボーライブの頃のカヅキは、第10話では「大会なんて必要ない」「何者にも縛られない」というスタンスで、これはある意味評価されることから逃げることによって自由を得ていたとも言える。それが第39話でヒロに批判され、逃げることをやめて表舞台に立つことを決意し、エーデルローズに入るというのがレインボーライブの終わり方だったのだが、逃げることをやめたせいで自由を失い、アレクと引き分けに持ち込むことが精一杯になってしまうというのが前々作。それに対してアレクは、自由のために表舞台から逃げるようなことはせず、他者の自由を奪うことで自由なプリズムショーを行おうとしていた。それが前作の「軟派なプリズムショーは一切禁止とする」と言って会場を破壊し、「俺の奴隷にしてやる」という「アンゴルモアの牢獄」であったわけだ。カヅキにとってアレクの自由は乗り越えなければならない壁だった。そしてカヅキは逃げることで自由になるでもなく、破壊することで自由になるでもなく、誰もが自由なプリズムショーを行える新たなステージを作り上げるというのが前作の結論であり、カヅキの成長だったわけだ。

この前作で不満だったのは、アレクがカヅキにとってライバルではなく、格下になってしまったことだった。前作においてカヅキと同格なのはヒロであり、カヅキの新たなステージを作り上げるプリズムショーは、会場を破壊したアレクの責任の尻拭いをし、アレクですらも「他者の自由を奪うことでしか表舞台では自由にプリズムショーを行えない不自由な一人」という救うべき対象にしてしまった。これはレインボーライブの第44話でヒロからエーデルローズを変えられたかもしれない実力がありながら、エーデルローズに入らなかったと批判された頃からのカヅキの成長を表すためではあるが、同格のライバルとして登場したアレクのキャラクター的には屈辱的な扱いだった。

それに対して今回は、アレクの会場を破壊するプリズムショーも「一般人には刺激が強すぎた」が、クールだったと黒川冷に褒められ、アレクのプリズムショーもエンターテイメントになりうることが示されたのがよかった。実際に個人的には前作はアレクのプリズムショーが最もインパクトがあり面白かったので、破壊行為が許されるかは別として、アレクのプリズムショーにも価値はあったのはよかった。

悪かった点は、幼少の頃のキャラクターの容姿は、基本的にみんな髪色や髪型にそこまで変化はなく、身長を縮めただけだったのが、アレクは髪色も髪型も肌色も違うため、今の姿とあまりにもギャップがありすぎる。ギャップがあることは魅力になることもあるが、ギャップがありすぎるため、正直同一人物とは思えない。カヅキやタイガと被らないようにするために病弱だった設定にしたと思うのだが、アレクに幼少の頃のエピソードは必要なかった。こうやって過去を明かしてしまうと、それがプラスに働くキャラクターもいるが、アレクは前作までの迫力がなくなっている。キャラクターの背景を知ることによって親しみを持てるが、アレクというキャラクターは親しみがあると魅力が落ちるキャラクターだと思う。

会場を破壊しなかったのは成長と言えるのかもしれないが、ルールなんてお構いなしにやるかやられるかといった緊張感を持ったキャラクターに魅力があったのに、丸くなったのが残念だった。何をしでかすのかわからない雰囲気がなくなり、プリズムショーも前作に比べてインパクトに乏しい。

黒川冷に憧れていると言っても、ストリート系のどこに魅力を感じているのかの描写がないのも物足りなかった。例えばカヅキは、「何者にも縛られずにプリズムショーを楽しみたい」というスタンスだから、誰かから評価を受けるような表舞台には出ることを拒んでいたし、ストリート系の自由さに拘っていたわけだ。ではアレクはというと、たまたま助けられた相手が黒川冷で、黒川冷がストリート系だったというだけで、ストリート系の自由さに拘っている理由がない。しかも、カヅキと違って「ストリート系の地位」という評価を気にしているわけだ。

アレクはどういうスタンスでプリズムショーをやっているのかの描写がないため、前作で「なぜ軟派=アカデミー系のプリズムショーをあれほど嫌っていたのか」「なぜ会場を破壊したのか」がわからない。アレクは前々作でカヅキに「ストリート系の地位を落とした」と怒っていたことから、ストリート系が表舞台で評価されないことに不満を持っていて、ストリートのカリスマなら、ストリート系のスタイルを貫いて、表舞台におけるストリート系の評価を変えさせるべきだという考えだと解釈していた。だからスタイルを曲げたカヅキには怒りをぶつけ、ストリート系が評価されないようなルールを破壊するために会場の破壊行為に及んだとも解釈していたが、そこら辺の描写がないため、未だにはっきりしない。不幸な事情はなくてよかったが、どういう信念があって行ったのかの理由は必要だった。会場を破壊しないことが成長と言っても、行った理由や行うのをやめた理由が描かれないため、どう成長したのかがわからない。