プリティー研究所

プリティーリズムの考察など

キンプリ KING OF PRISM Shiny Seven Stars 第12話の感想と批判

キンプリSSS第12話の感想を書く。

本編の内容としては、PRISM1も残すところエーデルローズセブンスターズによるユニットショーのみとなった。エーデルローズ生たちがステージに上がると、シンの前回のプリズムショーに恐怖を覚えた観客から不安の声が聞こえてくる。シンは自分勝手なプリズムショーを行ったことを謝罪する。許す声援が送られるが、中には傷つき泣いている人がいることを知り、シンは再度涙を流して謝罪する。すると拍手が起こり、プリズムショーで挽回するチャンスを与えられる。エーデルローズセブンスターズによるプリズムショーが始まるが、プリズムジャンプの途中で突然停電する。プリズムワールドから切り捨てられ、世界からプリズムのきらめきが消えてしまった。だが、プリズムショーの続きを望む観客が歌い出すとプリズムのきらめきが復活し、エーデルローズセブンスターズは観客と誓いの言葉を交わす。エーデルローズセブンスターズのプリズムショーは20000カラットを叩き出すが、総合得点でシュワルツローズに10カラット及ばず、エーデルローズは敗北する。しかし、再発計画は中止となり、エーデルローズの解散も免れ、すべて元通りとなる。エーデルローズ生たちは、セプテントリオンというユニットを結成し、新たなスタートを切る。

良かった点は、観客との信頼関係によってプリズムのきらめきが復活する今回の展開は、応援上映によってヒットし、観客に支えられて作られた作品であることを考えると相応しい結末だと思う。個人の精神力でプリズムのきらめきが復活といった展開ではなくてよかった。観客は無条件にプリズムスターたちを応援できたわけではなく、今までの回で笑顔になれるプリズムショーを見せてくれたという実績があったからこそ、プリズムのきらめきが失われても、プリズムスターたちを信じて応援しようという気持ちになれたのだろう。そしてプリズムスターたちも観客の応援があってこそ再び輝くことができる。

今回の話は、プリズムワールドの設定を考慮せずとも見ることができる。失敗し期待を裏切るようなことをしてしまっても、世の中は揺るがない愛や個人の精神力ではなく、期待に応えてくれる保証がない不安定な状況でも、相手を信じられることによって成り立っていて、そしてこれまで笑顔になれるプリズムショーを積み重ねてきたからこそ生まれたきらめきという名の信頼は、一度の失敗で消えてしまうようなものではないという。続編が作られるかわからない中、前々作や前作で笑顔になれたからこそ、信じて応援し続けたファンのおかげで生まれた今作のようでもある。

悪かった点は、まずドラチが不愉快。アレクがプリズムストーンで働いている時にお客さんに笑顔で挨拶できなかっただけ、しかも恐らくただ接客に馴れていないだけで、口で注意すればいいのに人の顔、しかもこれから接客を行う店員の顔をダンベルで殴っておいて(下手したら死ぬ)、「顔殴るんじゃねえよ、ぶっとばすぞ」という至極真っ当な文句を言われると、店内で泣き喚いて(笑顔で挨拶しないよりも余程迷惑)加害者のくせに被害者のように振る舞い、アレクから今度はどら焼きをせしめる。ギャグのつもりでも笑えない。

次にユニットショーに関して。それぞれのキャラクターはこれまでそれぞれの想いでプリズムショーをやってきたと思うのだが、今回のユニットショーは今作で描かれた個性が引き立たないものであったのが残念だった。それぞれのキャラクターが歌う部分の歌詞は、それぞれの物語に関連した歌詞の方がよかった。誓いの言葉にしても、今作のそれぞれの物語が関連していないように思える。こじつければ関連していると言えるかもしれないが、各話数内で使われた象徴的な台詞を使うとか、もっと関連性を高めた方がよかった。せっかくこれまで一人一人のキャラクターの物語を描いてきて、その集大成となるユニットショーなのだから、キャラクターの物語が関連したものでなければ、一人一人のキャラクターの物語を描いてきた意味が薄れる。

次にシンの謝罪シーンに関して。視聴者からすれば、前回のプリズムショーで傷ついたというのは意味がわからないのだが、作中の世界においては観客を傷けるような効果があったと考えよう。しかし、責任があるとすればシャイン、あるいはルヰであって、意識がなかったシンには一切の責任はない。シャインは天災のようなもので、意図したわけでも、ルヰ以外は予測できたものでもない。シンには防ぎようがないのだから責任はなく、謝る必要はないのだ。それなのにシンに責任を問うのは、視聴者が観客に悪い印象を抱いてしまう描き方なのだ。シンに責任がないのを視聴者的にはわかっているのと、現実世界のプリズムショーには人を傷つけるような効果がないので、「シンに責任を問う愚かな観客」「謝っているのに嫌味ったらしく泣く観客」という印象になってしまう。悲しませてしまった観客のためにも、元気を与えるプリズムショーを行わなければと心の中で意気込むだけでよかった。なぜシンに責任はないのに謝罪シーンなんて入れたのか。前々作であった「みなさんに言いたいことがあります」という台詞を再度言うためだとしても、ネガティブなシーンで使われても盛り上がらない。

作中の世界においてプリズムショーは人にどこまでの効果を及ぼすのかがわからないのだが、怖いといっても前作の物理的に会場を破壊したアレクのショーなら兎も角、命の危険にさらされたわけでもないし、エンターテイメントなのだから謝罪する必要なんてない。これだとホラー作品はすべて謝罪しなければならなくなる。それに例えるならシンはシャインにアカウントを乗っ取られて悪用された被害者なのだが、プリズムワールドといった設定を無視すると、「意識がなかったとはいえ危害を与えてしまった状況」とも考えられる。例えば、酒に酔った時に人を殴ってしまったといった場合だと考えると、謝罪するというシーンは不自然ではないが、この場合、殴られた上に「泣いて謝っているのだから許せよ」といった空気で許しを強制させられる被害者は気の毒でならない。これを感動的な流れだと思って描いた制作者は、被害者が受けた傷よりも、加害者が許されることしか頭にないのだろうか。実際の描写においては「怖いエンターテイメントで傷ついたと不満を漏らす観客に、アカウントを乗っ取られて悪用された被害者が謝罪する」というあまりにも不可解なシーンのため、このようなシーンを入れて何を表現したかったのかを考えると、制作者の価値観を疑ってしまうのだ。

プリズムシステムの精度がどれほどのものかはわからないが、数値として異常な状態を示しているのは事実なのに、謝罪されたことによってその状態を我慢して許してしまう観客は、優しさというよりも理性の暴走に思える。自然な身体状態よりも聞き分けの良さを優先することには問題もある。シンは責任がないのに謝罪させられて気の毒なだけで好感度が上がるわけでもなく、その謝罪によって我慢させられる観客も気の毒にしかならなかった。ドラチが不愉快な理由にも繋がるが、加害者側が泣いただけで許すことを要求する空気にするのが気分悪い。しかもシンは加害者ではないのがさらに気分悪い。つまり謝罪シーンは、アカウントを乗っ取られて事件の罪を被せられた人間がなぜか謝罪して、事件の被害者も泣き寝入りという、被害者同士が我慢しあっているという異様なシーンなのである。

 

全話見た感想としては、3話と9話あたりのストリート系の話が結局一番面白かった。ストリート系は設定や関係性がわりとはっきりしているので満足度も高くなる。アカデミー系は、そもそも純粋にアカデミー系と言えるようなキャラクターがいないのではないか。氷室聖やヒロやシンが純粋なアカデミー系と言えるのかもしれないが、プリズムワールドの話で満足にアカデミー系の魅力を描けなかったように思う。同じアカデミー系でも、高田馬場ジョージとのスタンスの違いなどをもっと掘り下げられたはず。

ただ、ストリート系はすでに描き切ってしまった感がある。前々作と前作と今作で、カヅキ、アレク、タイガ、黒川冷の関係性をあらかた描き切ったがために満足度も高いということなのだが、今後これらのキャラクターでこれ以上の盛り上がりは期待できない気はする。それに対してアカデミー系は、今作まででは満足度が低いためにまだ伸びしろがあると言える。次回作があるとすれば、アカデミー系が掘り下げられることを期待したい。