プリティー研究所

プリティーリズムの考察など

キンプリ KING OF PRISM Shiny Seven Stars 第10話の感想と批判 プリズムの使者とプリズムワールドの設定の問題点

キンプリSSS第10話の感想を書く。

本編の内容としては、第10話でスポットが当たるのは如月ルヰ。ルヰはプリズムの使者というプリズムのきらめきを広めるためにプリズムワールドという別世界から送り込まれたプログラムである。ルヰはプリズムの使者の中でも「りんね」と呼ばれているF型のプログラムであり、このタイプはM型の人間とトラブルが起きる可能性があったため、修正を必要としていた。トラブル回避の策として表層だけM型に修正されたのに加え、これまでのF型の使者たちの記憶も復元して投入されたのがルヰである。当初、F型の人間の育成を目的とした「りんね」というF型の使者と、M型の人間の育成を目的とした「シャイン」というM型の使者が開発され、セットで運用していたが、シャインはトラブルが絶えない不良品のため、プリズムワールドの住人はりんねにシャインの抹消を命じる。りんねはシャインを好きだったため、シャインと共に消滅しようとしたが、りんねだけ生き残る。M型の使者は失敗に終わり、F型の使者も生き残ったもののプリズムワールドの住人の指示に従わずに自己消去を繰り返すようになったため、F型の使者を最低限の記憶以外を削除して運用することに。しかし、トラブル回避の策としてこれまでのF型の使者たちの記憶を復元して投入されたルヰは、シャインが一条シンに宿っていることを知り、復活させる。という前々作で起きたことの真相が明かされる。

プリズムワールドの住人はシャインが復活したことを知り、再度シャインの抹消をルヰに命じ、ルヰはシャインを再度抹消する。シャインを抹消したため、シンはプリズムジャンプを飛べなくなったが、ルヰはシャインに二度と会えなくなることに耐えられず、再度シャインを復活させる。という前作で起きたことの真相が明かされる。

PRISM1が控える中、ルヰはシンと共に遊園地に出かける。そこでルヰはシンにシャインの面影を見る。そしてPRISM1のルヰのプリズムショーが始まり、ルヰの愛を伝えるプリズムショーを見たシンは、ルヰのかけた封印が解け、シャインが完全に覚醒する。

良かった点は、今回はない。ルヰのプリズムショーも前作の方がよかった。

悪かった点は、ルヰは「シャインの面影ばかりを追いかけていたが、シンが好き」と言うが、遊園地でもシャインを重ねており、これまでに「シンが好き」だと言えるような関係を深める描写がなかったことだ。シャインが消えればシンの記憶もなくなると言うが、そこまでルヰとシンとの大切な思い出があったという描写がないので、深刻感がない。レインボーライブのなるとりんねも、関係を深めるような実際の描写はほとんどなかったが、一緒に暮らしていたという設定はあったわけだが、ルヰとシンは、実際の描写においても、設定においても、一緒に過ごした時間がなさすぎる。それにシンが好きなら、前作でシャインを復活させる必要はなかったわけで、行動が矛盾している。そもそも抹消と復活を何回繰り返せば気が済むのか。指示に従わないから記憶を削除したのに、トラブル回避のためと言って記憶を復元するプリズムワールドの住人も意味がわからない。「F型は気まぐれ」という設定で誤魔化しているが、意味深でインパクトのあるシーンをやりたいだけで、無理に辻褄を合わせている印象が否めない。

あと「1000年前から愛していた」「封印されてから1000年にも及ぶ時間」と言っているがどういうことなのか。シャインが響ワタルとして表舞台で活動していた時に山田さんは出会っており、そのあと封印されたのだから1000年も経っていない。人間にとっての1年は、あらゆる世界を行き来するプリズムの使者にとっては100年といった設定でもあるのだろうか。

プリズムの使者やプリズムワールドの設定は、プリズムショーに臨むキャラクターたちを描いてきたこの作品にとって意味がある設定ではない。この設定によってこれまでの回の面白さがより増しているかというと何も関係がない。むしろすべてがプリズムワールドの住人によって仕組まれたものだったという設定は、これまでのキャラクターたちの活躍が毀損されるだけだ。成功とは、何十年何百年もかけて何千人何万人もの人々が積み重ねてきた結果なのに、ひとりの力だけを重要視するようなプリズムの使者の設定は、他者のため、他者のおかげだと想ってプリズムショーを行うことを綺麗事だと馬鹿にしてきた菱田正和らしい考えだ。

そもそもとして、プリズムワールドの住人が人間を利用する意味は何なのか。きらめきを広め、人間にきらめきを供給してもらおうとしているのだとすると、自分たちではきらめきを生み出すことができないため人間を利用していると考えられるが、このプリズムワールドの住人と人間の違いは何なのか。「きらめきが失われるということは我々の消滅を意味する」と言っており、消滅することに焦っている。つまり、命が有限なのだ。人間は命が有限だから、生き残るための行動を促す感情が生まれ、個体の経験を他の個体に素早く伝達できる言語が生まれ、文化が生まれたわけだ。人間並の言語の理解が可能で命が有限なら、人間でなくとも文化を生み出すことは可能であり、この条件を満たすプリズムワールドの住人が人間を利用する意味はない。しかも、失敗を認識してプログラムの修正を行っていたりするし、複数個体いて意思が統一されているわけでもない。それなら自給自足できるはずだ。

それに人間が存在している世界で生まれた文化は、人間が存在している世界以外で意味を持つものにならない。例えばアニメだって、人間が存在している世界の情報を反映して作られているわけだ。プリズムショーが別の世界からやってきたプリズムの使者によって持ち込まれたものだとすると、人間が存在している世界の法則と関係ないため、人間にとって意味のあるものにならない。仮に人間がプリズムショーを発展させたとしても、人間が発展させたなら人間が存在している世界の法則に依存しているため、別の世界にいるプリズムワールドの住人にとって意味のある発展にはならないはずだ。