プリティー研究所

プリティーリズムの考察など

キンプリ KING OF PRISM Shiny Seven Stars 第4話の感想と批判

キンプリSSS第4話の感想を書く。

今回も前回と同じく、PRISM1以前にプリズムショーを行った時の話が中心で、プリズムショーシーンだけ重ねている。今回はカケルがマダガスカルに行った時のプリズムショーと、その時のエピソードが中心となっている。

本編の内容としては、第4話でスポットが当たるキャラクターは十王院カケル。カケルは十王院ホールディングスの専務取締役。前作でエーデルローズの借金を返済するため、十王院グループが開発したPRISMシステムをカケルの独断で伍友商事に無償で譲渡したことで非難され、カケルはマダガスカル支社に出向させられることになる。マダガスカルでは天然ガスの採掘事業を行っている。そこでカケルは、現地スタッフのメリナにプリズムスターをやっている理由を聞かれ、十王院で働く中で何を信じていいのかわからなくなった時、プリズムショーのデータを分析していると、愛という項目に近いデータで通常では考えられない数値が出たことで、愛の存在を確かめるため、エーデルローズに入学したことを明かす。その後メリナからプリズムショーを見せてくれと頼まれ、カケルがプリズムショーを行うと、天然ガスの採掘に成功し、カケルは専務取締役に復帰する。

よかった点は、愛の存在を確かめるためにプリズムショーを始めたというカケルの動機は珍しいし、個人的に一番納得できた。この作品に限らず、アイドルアニメなどでアイドルを志すきっかけとなるのは「誰かに憧れたから」といった動機が多いが、個人的にはピンとこない。企業の幹部とプリズムスターを兼任しているというのも今までにいなかったキャラクターであり、こういうキャラクターは脇役であることも多いが、メインとしてスポットを当てたのは新鮮でよかった。プリズムショーのサイリウムチェンジも驚いた。毎回キャラクターのプリズムショーが続く中で、一本調子にならないように捻りを加えたり、意外性を出そうとしているので退屈しない。

悪かった点は、カケルの祖父の残念な理念である。カケルの祖父が「血で血を洗う争いで発展する」「金額ではなくハートで判断しろ」などと言っていたが、金持ちの年寄りとしてはある意味リアルと言えるのかもしれない。しかし、過度な社内抗争や金よりもハートというのは、むしろこれこそが典型的ブラック企業である。トップが意思決定の責任を取らず、待遇が違う者にも過度な競争のプレッシャーをかけたり、ハートを当てにして低賃金で労働をさせることこそブラック企業だろう。金がない成果主義、金がない年功序列制がブラック企業を生むのであり、プレッシャーや労働に見合うだけの金があれば、ブラック企業にはならない。

この世界の情勢がどうなっているのかは知らないが、カケルの祖父は「わしらは国民を救いたい、その一心で働いてきた。しかし今は目の前の利益ばかりを優先して不幸になっている」などと懐古美化して優越感に浸っているだけで、あまりにも頓珍漢すぎる。昔はひとつの企業に入社してから定年まで勤め上げられたが、現在は入社してから定年まで同じ企業で働き続けることが難しく、将来的には業種自体がなくなる可能性もある。このような流動的状況においては、時間と金をかけて社員を育てるよりも、最初からそこそこ技能を持った人材を雇って使い潰すやり方はむしろ合理性がある。今も昔も変わらず、「愛」だの「ハート」などという綺麗事ではなく、「金」を稼ぐために合理的であるか否かがすべて。昔は愛があったわけではなく、社員を育てた方が合理的だったからだ。今と昔で変わったのは「ハート」ではなく「金」なのである。昔と同じやり方では「金」が稼げないにもかかわらず、「ハート」で誤魔化し続けた結果、ブラック企業が生まれるのだ。

愛が云々言い出すのは、カケルがプリズムショーを始めた理由に繋げるためなのだろうが、あまりにも言葉の選び方がヘタクソすぎる。ここだけでなく、この回は全体的に言葉の選び方がよくない。メリナの「 世界で一番素晴らしい景色は何か知ってるか?飛行機から見る東京の夜景だよ」も、メリナが以前に日本に研修で行った時の経験から話しているということなのだろうが、メリナが日本とマダガスカル以外を知らないという情報もないので、外国人キャラクターを使って日本を賛美させているという印象を抱かせる。

マダガスカル自体が今回のカケルの話に組み込めていないというのもある。「カケルは愛の存在を信じられず、愛の存在を確かめるためにプリズムショーに興味を持ち、エーデルローズに入学し、エーデルローズのために行ったことの責任を被ってマダガスカルに飛ばされる」という今回の話において、先進国の日本と途上国のマダガスカルという対比に意味を出せていない。例えばベタだが、金によって愛が信じられなくなったカケルに対して、金がないマダガスカルには愛があった、それを見て自分がエーデルローズの仲間と一緒にいる時と似た感覚だと気づくといった話なら、金はあるが愛はない場所と、金はないが愛はある場所といった対比で意味があったと言えるが(これもこれで「金がなくても愛があるのだからいいだろう」という搾取に繋がるという問題はあるが)、これでは何の意味があってマダガスカルに行くという話にしたのかわからない。要するにマダガスカルがカケルの過去を話すための舞台でしかなく、マダガスカルに行ったことでカケルが発見したことがないのだ。

マダガスカルからすれば日本は豊かなのかもしれないし、この作品世界の日本がどうなのか知らないし、虚構だとはわかりつつも、こうも意味を出せていないとなると、虚構で日本を賛美させることで、現実の日本の問題から目を背けているのではないかと疑わせる。