前回までのおさらい
第1章では、不幸アピールする者は不幸とは限らず、弱者のふりをして同情を誘い、事実を明らかにするよりも自分を優位な立場に置きたいだけの姑息な人間である可能性があること、本当に不幸な者はむしろ自己主張できないこと、「人は他者を理解できない」だとか主張する人間は傲慢な自己愛であり、実態は自家撞着した間抜けであること、同調・許容の「共感的理解」は馴れ合いか排除の両極端にしかならず事実を明らかにできないこと、対立から逃げずに「客観的理解」を求めなければ死に至る可能性があることを明らかにした。
第2章では、先入観のエラーこそが人間味であり、悩む振る舞いによって相反する価値を知っていると思わせ、注意を向けられるキャラクターに人間味があること、悩む振る舞いのみでは正確な知識の有無はわからないこと、あくまで価値の可能性であって価値ではないことを明らかにした。
これらを踏まえた上で、第3章では、プリティーリズム・オーロラドリームの何が新しかったのか、何が面白かったのかを語りたい。
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